Mon, 06/16/2008|思い出 いじめ
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僕は小さいときから、周りからいじめを受けていました。
容貌時代
それは幼稚園からはじまります。先生は一人だけ変な子が居るからと僕を教室から追い出し隣の教室に行かされました。自分は普通にやってるつもりでした。
講堂で集会のとき「そこの子ちゃんとしなさい!変な顔を止めなさい!」と言ってた。誰のことを言ってるのだろうと辺りをきょろきょろ見合わせたがその後も「変な顔を止めなさい!」と続けて二回も言いますんで、もしかしたら僕の事を言っているのかと思っていたら、担任の先生が僕の横に来て「すいません!コの子これが普通なんです!」と大声で伝えたのである。それ以降僕は全ての自信を失った。
確かに自分でも周りと何かが違うというか、存在自体に違和感を感じていたが、顔やヘアスタイルのことではなかった。
消防時代
小学校に入りやり直しを図った。
失敗は続くもんだ。否、勝手にそう感じてるだけなのか?自分は一体何者なんだ?!
岸谷に連日の木のバットでのケッパン。ヤツに“オレの物化”されたぼくは、ケッパンならぬ戦略血判状態だった。
サビ釘触ったようなヤツの指を口に押し込まれ、親に言えば告げ口したと、苛めはより一層酷くなっていった。
担任の小田先生にボコボコにされ、あいつは「もう三木君を苛めません」と泣いた。あぁこれで苛めは無くなる。そう信じてホッとした。
だけど岸谷の苛めはこれに留まらず、ぼくは便器に顔を押し付けられ、住吉公園ではバットでケツ痣出来てもそれに応えず余計エスカレートしていった。
そして、あの苦い思いが蘇る…。…便所に連れて行かされたぼくは、汚い壁に凭れ掛けさせられ、その上から岸谷がぼくをジーっと眺めている。殺されるのか?ぼく。するとヤツはニヤッとしぼくの頭の上から小便を掛けた。絶対泣かないぼくもこのときは小便に紛れて声に出さず無言で泣いた。小便と涙が一緒になって頬を傳(つた)った。
二度目の小田先にボコボコにされた彼の二回目の涙を横からみた。おっと思っていたら「お前も悪いねん!」と握力63の力で小田先に思いっきり張り手をかまされた。きっとこの先生はぼくの泣く姿を一度は見たかったんだろう。クラス中否、学年中の男子は学校を卒業するまでに『一度は三木を泣かす』と呟やいていたくらいだから、よっぽどぼくは何されても泣かなかったし、逆に言えば人前で泣く自信がなかったのだ。ある意味この小田先生にも私物化されたぼくだけど、うちの親は絶大に信頼していた。夏休みになると歳暮ではないな、お中元を贈ったりもしていたくらいだ。他の親御さんからはあまり信頼されてなかったみたいだけど・・。唯一この小田先に限って持ち上がりになり二年連続ぼくの担任となった。これじゃあまるでぼくが担任にしてあげたみたいな書きかただ。そして卒業式の前日に小田先は目出度く結婚した。奥さんの手料理を朝食べたばかりの小田先は奥さんに目玉焼き「美味しい?」と聞かれ、少し辛かったけど「うん!美味しい」と応えて、卒業式早朝ノロけていたな。
話をちゅるちゅる巻き戻して、この日を最後に彼はぼくを苛めなくなった。そして学校の帰りに岸谷がぼくに「ごめんな」と謝ってきた。
厨房時代
中学に入り新しい未来が待っているという思いで意気込んでいた。
あんなけ煩くて男子に手を上げてた女子軍団が、中学になっていきなり女らしくなったのには笑った。
そんなんで一年が過ぎ伸び伸び成長している頃、第二の虐めが始まった。虐めのターゲットは三木。
毎朝蹴られるわ殴られるわのお祭り騒ぎだった。又あの時のような地獄がこれからも始まるのかと思うとぞっとした。
虐め。それはまさしく残酷そのもの物語漫ろだ。
ある日、親には言えない事を全て弟に告白した。ボクを虐めてるヤツが学校終わってからも、友達顔で「遊ぼう」と誘いに来る。
弟はそいつらを見て、殴りに掛かろうとしたけど、後でまたボクが痛い目に合うのはイヤだと思い「いい、いい、止めといて!」と止めたけど、内心強い見方が自分には居るんだと安心さえしていた。
その頃ボクは古屋(こや)とマッシュ君と古谷(ふるや)の三人に虐められていて仲良くなかった。他所でボクと友達と称するこの三人が耐えれないほど嫌いだった。
学校の番長は何故かいつも優しくぼくの見方だったが、肝心なときに居ない。その内教室の窓から覗いた場所や誰にでもボクが虐められてるって分かるような場所でさえも平気で甚振るようになってきた。
お母さんは「あんた友達誘いに来てるで!たまには外に出て遊んでおいで」と言われた。出て行きたくなかった。死ぬほど家に引き篭もりたかった。だけど虐められてると親には言えない。言ったらもっと酷い虐めに合う。ボクは笑顔でお母さんに「行ってきま~す」と言って、死ぬ覚悟で外に出た。そして自転車である場所に向かった。
この日三人はボクを税務署に連れて行き、隣地の路面電車と税務署の狭い壁の狭間の中でボクはリンチされた。

お母さん、お父さんの笑顔が頭に過ぎる。あの暖かな家族の元に還りたい。守ってくれそうな弟が愛おしく涙が溢れた。
家に帰り、事実を話さずいられない状況の傷と痣とアマタの途轍(とてつ)もないタンコブたち。弟にも事情を話したらと推され、事実を話したあの夜。
寝る前お母さんに「病院行かんでいいかな?明日になったら冷たくなって死んでないかな?」と数回聞いた。死ぬかもと思っただけで無性に怖くなった。母親はボクが寝るまでずっと横にいてくれた。
でも実はここ数日間死にたかった。生きるのがこんなにも辛くって苦しいことだなんて自殺しようと考えた。今から毎日一ヶ月腕立て伏せすればアイツらに勝てるようになれるかなとか考え、一ヵ月後の自分の姿を思い描いてはあの三人をボコボコにしてることばかり想像しまくった。
だけどボクは精神的に負けたくなかったし、いつか絶対見返してやると思っていたから、あの三人より誰よりも一番に登校し“お前らなんて怖くないよ!”と睨みつけた。次の休み時間が始まると「なんやあの目は?!」と虐めの会がやってきた。
終焉
あんなけ虐められたにも関わらず、受験シーズンが到来し、卒業式もそそろそろになってくると、すーっと虐められなくなった。マッシュ君も古屋も古谷も以前喋っていたように普通に接せられるようになっていた。
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