貝塚はインスピレーションの地
2002年2月7日(Thu)に貝塚に赴いた際に、この川のように美しくが産声を上げたが、いやはや之は凄い。
というよりここはすげー地やなー、ほんま。
貝塚はインスピレーションの地である。
ビンビン霊感を感じるし、気付けば隣で僕の元を訪れ、メロってくれるのである。
果たして何方?もうお亡くなりになられましたか?
世に出せず悔やんだ霊が僕にメロディーを運んで来てくれる。
ここは、昔何の場所だったんだろう?
ともあれ音楽作成は外でやると、通りすがりの人に狂っちゃっている丸だしでありゅ。
まぁ、それも全部ひっくるめて音楽家として受止めればなんら問題もなくなる。
最近は人が変な目で見てくるので友達のバニに監視してもらっていた。
始めはバニも、お前の被害妄想ちゃうんかと笑っていたが、監視してもらってる内、どうやら被害妄想ではない事を要約理解してくれた。
頭がデカイから?ホントは人一倍小さいにも関わらず、毛が直毛&豪毛でごわついてるからなのか?
確かに床屋に行く度、カチンコチンとは言われる。あ~サッパリした。
いま、床屋から出てきた床屋。金髪を通り越すくらいに毛を染めてもやっぱ軽くは見えるようになったものの、柔らかくはなってないみたい。
監視してもらっていた頃は黒髪だったのでかなりごわってた。だから見られたのか?黒髪の方が見られるのか?
どうやらバニに言わすと、髪とかではなく、存在的に違和感があると指摘された。
それを言われちゃお終いだよバニちゃん。東京に行った時にゃそげなことなかったっちゃ。土地や地方にも関係あるのかも知れない。
東京は余り回りに関心なく、大阪では関わってくる関係も経緯にはありそうだ。
余談はこんくらいにしておいて本題に入りましょう!
そうなんです。人に寄ってはお空で作ったり降ってきたりするみたいです。
私もなんとなく分かる気がせんでもないけれど、インスピレーションには違いはありません。
それは、曲に留まることではありません。ポエムや歌詞であったり、絵画や漫画も同じ事だと思います。
インスピレーション創設の日。
3月19日は私にとって特別な音楽日和となったのでこの日を、インスピレーションの日として創設しました。
この年は貝塚に留まらず他の地でも音を覗かせた。
霊感は色んな場所で受取ることが出来る。
そこに居るのではなく、波長が合致した時に受信出来るようになっている。
丁度、ラジオやテレビや携帯電話と同じような仕組みになってると思って頂ければ、分かりやすく説明が点く。
別れた女に話を着けに行ってた日だった。
この時、ピクシーズのNAGANOが精神分裂症のため豊中の病院で入院しており、15時に行くことになっていたが、話しがずれ込み、間に合いそうになかった。
話しが終わったのは15時近くだった。
病院は16時以降面会出来ないので、今からじゃ間に合いそうにもなかったのでとりあえず日改めて行くことにした。
家路に向かって自転車を走らせていたが、何か方角を違えたみたいで、橋を渡り豊中市ってとこまで来ていた。
道を迷ってしまったのだ。豊中といえば全然逆方向じゃん。。。
え~ん帰れない。と、気づけばNAGANOが入院している病院の前に来ていた。
面会時間まで残り10分を切っている。受け付けで入院している棟を聞いて、何とか残り1分というとこで面会受付の所まで辿り着いた。
とりあえず、携帯は持ち込めないらしい、こうしてNAGANOと会うことが出来た。
その話しをするとNAGANOも吃驚していた。
病院には内緒でこっそり酒を買い込み、病室で一緒に飲んだことが懐かしい。
帰りは2時間掛けて家に帰ったが、途中妙な建物が気になった。
通り過ぎたが、戻って見てみると音楽大学だった。
お構いなしに自転車で中に入って行くと、学生達がちらほらと居た。
キャラの付いたマフラーを首から巻いてる娘がいて、言わば昔の音大生とは一見違った。
大学の木々が僕に霊感をくれる。ララララ~♪
ここの学生達が気づいてるか知らないが霊感達が居るわ居るわ。
僕に一曲囁いてくれた。分かった、ちゃんと受取ったよと最後にいつもならが言っておく。
言っておくといっても、簡単な心のサインといったところだろう。
するとその霊は安心してかスーッとどっかへ行ってしまう。
何故か放っておくと、3日後またやって来てラララ攻撃を繰り広げるのである。
それでも放って置くと、4日後ひつこく迫ってきて、更に無視するとまた3日後、延べ10日目にまた耳元へやって来る。
分かった分かったと霊を諭しテープレコーダかなんかに録れてやると、後は任したの如く安心してどっかへ消えて逝くのである。
多分霊達は私が音感的霊感が強いと分かるのだろう。
なので、私が世に出そうとしている楽曲達は作曲Mikiになっていたりするけど、ただ私は拾っているのであって作っているのは、殆ど構成とアレンジとなる。
曲に関しては殆ど死者なのかしら>?何時も、好きなように使って良い、後はお前に任した。その代わり絶対世に出してくれみたいな感じなので、凄い重圧感やら正義感やら使命に任され、最悩まされるのである。
著作権は私が長時間掛けて、音源製作している労苦を組んでいるので、私が所有してもいいことになっている。そのギャランティーに纏わる金銭的な事も受取っても好いようになっている。
勿論、幽霊に金を渡す手段もあるわけないしね。
自力で作った曲に関して云えば、今まで全然、良い評価を頂いたことがこれと云ってない。
よっぽど才能っつうヤツがないのね。
それから2ヶ月が経とうとして居る時に丁度、バイトが貝塚に決まった。
普段なら通勤時間でさえ片道最低1時間は掛かるのでお断りするのだが、この川のように美しくが産声を上げたこともあり、縁を感じてならなかった。
そして、バイトを終えて駅に着いて急行が通り過ぎようとしている時、第二のインスピがやって来た。
2002年4月4日(Thu)21時10分に仮名 INS/貝塚2が出来た。
後にopen your heartと名付けられる。何だか自分でライナーノーツ書いてるようでヤだな。
霊感はバイト中も降り止むことはなかった。
会社では電話をする仕事をやっていた。パソコンから電話が出来るようになっている。
いちいちトイレに行ってボイスメモするのが面倒だったので、会社のコンピューターから自分の携帯に電話を入れメロ録した。
実況中継&会社の上司には客と喋ってる振りをながらトロトロピロピロメロディーを奏でている。
はたから見ると間抜けそのものである。
以後、次々数曲の楽曲が生まれることになる。
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